この方法で本当に英語が話せるようになるのか?という疑問はいつでもついてくるそうです。
私の場合、小さい頃から英会話を習っていたせいか、英語を日本語で理解することに疑念を持ってました。特に中学生、高校生時代は、この従来の勉強法で本当に話せるようになるのか?という葛藤がありました。
そのせいか、英語は絶対勉強するな!を読んだとき、まさにこれだ、これこそ探し求めていた方法だと思い、この方法に対する確信がはじめからあったんです。
というわけで、私の場合、幾何学的に分からない単語が増えていったとしても全然問題ではありませんし、むしろ、従来の勉強法に戻るなど考えるだけでもおそろしいです。
英絶批判はネット上でも多くありますが。ちょっと反論しときます!
英語は絶対勉強するな!を批判していたある文章で(ネット上にあったが、忘れた。)、ジャングルで大人になるまで育ち、その後人間社会に戻された人が(救出されたのであるが)、死ぬまで言語の取得ができなかった。という事実を挙げて、たとえ、その土地に、ぽんと置かれても、赤ちゃんのように吸収し、母国語のように言語を話せるようになるわけではない、としていた。
英絶批判としては、まずまずの内容のように思えるが、この考え方にはひとつ大きな問題がある。
この救出された方の言語脳の発達を考慮していない点である。元々ジャングルにいたのでは、言語(どんな言語であれ)を用いることが、まったくと言っていいほどなかったことを意味する。つまり、音の高さや長さによる(動物的な)レベルでの区別はあったとしても、言語脳が十分に発達した可能性はゼロに等しい。しかも、本人が今まで必要でなかった言語という意思伝達経路を、人間社会に戻ったからといって、いきなり、必要だと感じたかどうかも定かではない。必要だと感じなければ(若しくは話したいと思わなければ)、言語の習得などできるはずもない。
というわけで、明らかに日常的に言語脳をつかう私たちとは大きく異なる。
赤ちゃんのように習う・・・赤ちゃんじゃないと無理!との意見も強いですね。だから=日本語で学ぶんだ!という考え方。意外とそうでもないと思います。
赤ちゃんとは違うとしてもですよ、日本語習得と同じように考えればいいと思います。
例えば、“窮屈”という日本語を知らなかったとします。この語を理解するのにどうやるかというと、“人がいっぱいいて窮屈である。”とか“バスで座席に座ったら意外と窮屈だった。”とかそういった例文を何個をみたり聞いたり、使ってみたりするうちに窮屈という意味や使い方を知るのではないですか?
もしくは、人が使っている窮屈という言葉をきいたり自分で使ってみたりしているうちに理解できたのではありませんか?
赤ちゃんだけでなく、大人でもそういうやり方で日本語を理解していると思います。
それと同じように英語も習得すればいいんです。例えば、nounsという単語を知らなければ、その単語が使ってある文章を何度もみたり聞いたり、話したりすればいいんです。
日本語ではそのようにしているのに(そうやって理解しているのに)、英語になった途端に不安になったり、これでは無理だと考えるのはおかしくありませんか?
このやり方を大きく捉えれば、ステップ3で基本的な単語や文章を何度もみて読んでいるうちに、文法が分かるようになるという考え方につながるわけです。
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