日本語で訳すor日本語で考える
英絶において、「日本語に訳す」ことはタブーです。英語→日本語訳→理解という流れよりも、英語→理解を目指しています。
ところで、「日本語で訳す」ことと、「日本語で考える」ことは同じでしょうか?なぜこの疑問が生じるのかということですが、
英英辞典をどう理解するのか?
英英辞典は英語で書かれています。ステップ3では、これを何度も音読すると理解できる。としています。ただ、どうやって理解しているのか?そのメカニズムは全く説明されていません。著者自身も、「理解できるから仕方がない、やってみて。」と説明してます。
ステップ3を実践している英絶ユーザーにとって、音読をすると理解できるということを実感できた人は少なくないと思います。でもその理解の仕方を正しく説明できないというのが大方の意見ではないでしょうか?
自然なレベルで日本語で考えているのではないか?
実は、英語を理解できるときは”イメージ”できた、ということです。想像出来た時、使えると思ったとき、それらが実際に理解できたという瞬間です。そして、日本語で説明して下さい、といわれたとしても十分に説明できる状態です。
英絶をしているときに日本語で考えてはいけない(英語脳?)とされていますが、自然なレベルで日本語で考えてもいいのでは?
つまり、英英辞典を読み、イメージする時に、そのイメージは日本語かもしれないわけです。(少し難解ですが・・・)そのイメージ(日本語)をしてもいけないとなれば、ただ単に音読するのみに絞られるので、本来の英絶の目指すやり方とは異なる気がします。
日本語訳はやめよう。
しかし、英単語を日本語に訳して全体を訳すようなやり方はやめましょう。このやり方だと、イメージすらせずにも日本語訳で理解できてしまいます。英絶のやり方はこれを否定していると思います。
結論;日本語で考えてもOK
日本語訳をしなければ、日本語で考える(イメージする)ことは大いにOKだと思います。なんだか左脳右脳みたいな話になってきましたが・・・世の中に転がっている英語勉強法は意外に似ているのかもしれません。
2 件のコメント:
頑張りましょう。私は今その方法で日本語と英語を慣れています。
匿名さん、コメントありがとう。
コメントを投稿